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家城亮コーチ

テニス

なぜ「テニス」を選んだのか

 父の海外赴任先であったアメリカのミシガン州のグランドラピッズという街が私のテニス人生のスタート地点です。ミシガン州はミシガン湖やデトロイトが良く知られています。ミシガン湖とつながっているヒューロン湖の対岸はカナダになります。日本の札幌と同じぐらいの緯度で、冬には雪が積もります。グランドラピッズでは、シーズンごとにスポーツを楽しむというような感じでした。冬場はスキーやスケートなどのウインタースポーツをみんな楽しんでいました。テニスは秋のスポーツというような感じがありました。

 渡米したのは5歳のころで、テニスを始めたのは小学2年生からです。高校のテニス部に地元の小学生を集めて教えるというようなものでした。それから父の通っていたテニススクールに進みました。インドアで20面のテニスコートが2か所もありました。越してきたグランドラピッズは日本人が少なく、日本人学校もありませんでした。父の前の赴任先がフィリピンでした。タガログ語が私の第一言語だと冗談めかすこともありましたが、英語での学校生活は戸惑いの連続でした。テニスを始めて自立心が芽生えるようになったころには、必死だった英語の生活にも慣れてきました。母や弟もレッスンを受けるようになり、4人でダブルスを楽しむまでになりました。

そのころマイケル・チャンという、ニュージャージー州ホーボーケン出身のプロテニス選手を仰いでいました。右利き。バックハンド・ストロークは両手打ち。シングルス自己最高ランキングは2位とアジア人ですごい成績を残した名選手でした。今は錦織圭選手のコーチとして知られています。チャン氏以外に、クルム伊達公子さんも選手として尊敬していました。USジュニアオープンの地区予選に出場したことを想い出に、13歳で日本に帰国しました。

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コーチの喜び

 中学2年生の途中から大阪の箕面市にある関西学院千里国際中等部に入学します。その当時は大阪国際文化中学校という校名でした。帰国生徒を多く受け入れている学校です。私のクラスも国際色豊かで、外国語交じりの変な日本語を使っていました。クラスメイトのみんなも正確な日本語を話せなかったので、大学に入ってからちゃんとした日本語を知ったような感じです。

アメリカで6年間していたテニスは、帰国後も続けました。学校にテニス部という部活動は無かったのでテニススクールに通いました。アメリカ人コーチと日本人コーチでは、どちらの指導方法がいいというのはないと思います。ただコート数など環境面が全然違います。初めて行った体験スクールはコートが2面しかなく、それも2階建でした。ネットを運んで持ってきてボレーボレーの練習をするなど、コートを区切って、どうやってみんなが練習できるかを考えているかのようでした。1つのコートで10名ぐらい同時でレッスンする日本と、子供のレッスンでも1コートに2、3名だけ、大きくなるとプライベートレッスンが当たり前のアメリカとでは、おのずと指導方法も変わってきます。

庭球とテニスの間で

 大学時代からコーチを始めました。大学卒業後は普通に就職をしようと、会社も決めて内定式にも出ました。ところが、思いも寄らない人生のターニングポイントが待ち受けていました。なんと、バイトしていたスクールが閉鎖しました。生徒さんがレッスンを受けられなくなってしまったのです。悩んだ挙句、支援者見つかり、就職を断ってプライベートコーチになりました。内定をいただいていた会社へ謝りに行ったことを覚えています。

それから15年が経ちました。その間、幼稚園から育てた子が全日本ジュニア選手権に出場したこともあり、とても喜んだ思い出があります。別の子が、高校生になり全国選抜で京都代表校に出場した時は福岡まで応援しに行き一緒に感動しました。

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成功するプレイヤー

 私は自分のスクール以外に京都市テニス協会、京都府テニス協会、関西テニス協会の3つのテニス協会の理事としてイベント等を手伝っています。テニス協会ではトーナメントや教室の開催を通じて、テニスの普及と選手の強化を行っています。テニス人口を増やそうというのが普及で第二の錦織選手を育てるというのが強化です。私は普及をメインに努めています。

 現在、私は80歳を超えた方から幼稚園児まで教えています。テニスは長い間楽しむことのできるスポーツです。健康のためにもいいし、青少年の人格形成に良い影響を与えると思っています。テニスを通じて、礼儀やルール、マナー、とりわけ「自立心」が養われるのではないかと考えています。なぜならテニスは試合が始まるとだれも助けてはくれない孤独なスポーツです。チェンジコートの時に、コーチがアドバイスすることはできません。ですので、自分で考えて行動し、精神をコントロールしなければなりません。

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 もう20年も前の話になります。1995年の全米オープンで松岡修造とチェコのペーターコルダが一戦を交えます。この年ウインブルドンでベスト8に進出する松岡修造。この日も鮮やかなプレーとミラクルショットの連発で会場を沸かしていました。試合は3時間を超えていました。第12ゲームを迎え素晴らしいフォアハンドをコーナーに決めた瞬間、両足の痙攣に襲われます。とうとうコートに倒れ自力で立てなくなった松岡に対し、コードバイオレーションがとられ失格となりました。コードバイオレーションというは「ゲームの遅延」です。つまりテニスにはゲームを遅らせると失格という厳しいルールがあるのです。

 その光景があまりにも残酷だとテニスファンの声が高まりました。そのようなことがあって、試合中でも痙攣治療が認められるようになりました。これを「シュウゾウ・マツオカルール」と呼んでいました。残念なことに、これを悪用し戦略的にメディカルタイムアウトを取得する選手が現れたこともあって、2010年シーズンからは廃止されます。現在のルールでは痙攣を理由としたメディカルタイムアウトについては、試合中に2回だけ、ゲームチェンジかセット終了になるまでのゲームポイントを没収した上で治療を認めるというルールになりました。倒れても誰にも助けに来てくれないのがテニスの掟です。私は、一見華麗に見えるテニスにも厳しいルールがあることをジュニア選手には教えています。

自分で考えて自分で行動できるようなるように「自立心」を養うことで、コート上のみならず社会でも戦うことのできる人間を育てていきたいと思っています。最近は、自分の荷物を親御さんに持ってもらう子が大勢います。忘れ物をしても親御さんがすぐに取りに帰るようなことも見かけますが、そんなことでは、子供の自立心を養うことはできません。私は試合の時でも一人で公共の乗り物を使って会場に行くように指導しています。といっても親御さんと一緒に来ますが、、、。テニスを長く続けられるジュニア選手は、ひとことで言うと前向きでポジティブです。何事も自分でやってみるという気持ちが大切です。私たちコーチは出来ないことをやれるようになるためにメニューを組んでいます。できないからトライしようとしない子供は続きません。

身体の状態がモチベーションを左右する

中には怪我が理由でテニスから遠ざかってしまう生徒さんもいます。残念なことです。私たちコーチも体に故障を抱えてはテニスを教えることができませんので、健康管理には気を遣うところです。最近のラケットやガットは反発性や耐久性を求めて、硬いつくりになっているので、肘や肩への負担は増していると思います。成長期と重なるジュニア選手やシニア世代にもいえることですが箸やコップ、フライパンが持てないほど痛くなったら、アイシングなどでは回復しません。アイシングは練習後に汗を流してから30分ほど行うといいですが、なかなか時間が取れず、ついついケアを怠ってしまうことがあります。

練習が終わってから買い物に行って、なにか食べて帰ってきたら、好きなテレビが始まっていて、見終わったら22時で、慌てて宿題して寝ちゃった、となりがちです。筋肉疲労は蓄積されて、凝りや張りを感じるまで長くはかかりません。次の日にすっきり目覚めることが難しくなってしまっているかもしれません。ベッドから起き上がるころには「あいたたた」と声がでるほどに悪くなってしまう可能性もあります。

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私も手首を痛めていた時期がありました。完治するまでスクールを休むこともできないので、サポーターをして痛みを我慢しながらプレーしていました。そんなことを生徒さんにも話したのが、マグレインを紹介してもらうきっかけになりました。最初に『円錐粒』を見たときは、「血がでるんじゃない?」と思いました。紹介してくれた生徒さんは、その気配を察したみたいで「60度やから、大丈夫、大丈夫」と貼り方の本を手渡してくれました。

翌日、痛みが軽くなっているのが実感できました。以前は湿布薬も使っていたのですが、どうしてもレッスン中の動きや発汗で、数時間後には予期せぬ場所に移動してしまったり、サポーターの下で丸まってしまったりと、申し訳ないような気持ちになることもしばしばありました。マグレインはまず、はがれることがありません。発汗や皮膚の性質による個人差もあるかと思いましたが、肘や膝などの、曲げ伸ばしが頻繁に行われる患部に貼っていても剥がれません。そのままお風呂に入っても大丈夫です。

私が使っているのは円錐粒です。

今日は右腕の肘と左足の膝、捻挫して痛めた右の足首に貼っています。肩や背中に痛みや凝りを感じた時にも使用しています。それと、今日は「足がつりそうかな」という時に、足の親指と人差し指のあいだの甲に貼ります。貼り方の本を参考にすることもありますが、私の場合は自分でぺたぺたといろんなところに貼ってみて、効果のあるツボを自分流に探して貼っています。こうしたケア術も、自立心による行動の1つの現れであると思っています。いわゆる自分で設けた「リョウ・イエキルール」、妻からコードバイオレーションを下されないための一貼りです。

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